少女都市計画計画書第一稿(或いは検閲を逃れた解説)
いま、月の裏へ向かう旅客機のなかでこの手紙を書いています。滴る日の丸を擁した少女の王国旗が切手の窓に翻っています。「世界の車窓から」見える景色は地平線と空ばかりと申しますが、何せよ自分の内側を旅する脳内旅行、見えるのは血平線と内臓の花園ばかり。これを流れるリボンや伸び縮みするフリルであると錯覚することにして、私は少女都市を計画したのです。
ユメノが描いた少女地獄もここ百年で交通整備がなされ、随分と都会めいてきたものです。夢見る少女たちが成熟した大人の女性となることを夢見たのも今は昔、少女たちはいつしか夢見られる存在となり、欲望される肉体となり、代替不可能な唯一無二性を得ることに成功しました。街にはうら若きアイドルのポスターが溢れ、彼女たちの着こなすセーラー服が、ワンピースが、水着が、時に流行をつくり、資本主義を回すのです。プラハの春はしかし、いっときのものでしかない。彼女たちは自分たちの持ちうる唯一無二の「春」が、売買可能であることをよく心得ている。そしてそれが消費され、捏造されることも。
少女たちはいつしか自分たちが少女であったことに絶望し、狂乱するのです。彼女たちの心に大地震が起こるとき、都市は倒壊を免れるのか。当アルバムはかようなる少女都市における心的災害対策マニュアルの一環であり、その音声記録です。ごく稀に浜崎容子の肉声が年齢不詳の純粋な魂を装うとき、或いは柔らかな電子音が月の光を毒電波として翻訳し伝えるとき、あなたは少女都市の片隅で、都市の優しさに触れるでしょう。願わくば、屋上へ向かうネガティヴキャンペーンに耳を傾けるなかれ。かわいいは正義!もとい、病気。
SIDE.A
01.恋をしに行く
「恋をしに行く 行為をしに行く」
タイトルは坂口安吾から。松永が風と光と二十の私だった頃に書き上げた楽曲。風博士さながら駆け抜ける独身者たちと裸にされまいと飛び交う花嫁の対決が、学園紛争のようでもあり終わらない学園祭(ビューティフル・ドリーマー!)のようでもある。数々の前衛都市歌姫によって歌われてきたこの曲、いつか封印を解きたいと思っていたのですが、少女都市起床の歌曲としてこのたびリヴァイヴァルいたしました。病的なスピードのピアノにまくしたてられるように、秒針よりも、カメラがシャッターを切るよりも速く、処女の終息は加速を極めるのです。
02.コンクリートガール
「あたしだって泣くんだよ あたしだって笑うよ」
けもののためでも機械のためでもなく、人間のための音楽を標榜する当アルバムの中核を為すミュージック・コンクレート・テクノポップ。殺人犯の常套句で切り出される危ういアイドルポップスは、過去を塗り固めコンクリートジャングルに変えた少女都市の伽藍によく響きます。(子ども部屋だったかもしれない、精神病院の壁かもしれない)。ここノルウェイの森では、目をつぶりたくなるような暴力、耳を塞ぎたくなるような悪意はそこかしこにあり、全て人が人に対しておこなうものです。人間は常に「人」になる「間」のもので、時に獰猛なけものや冷たい機械のようにだってなりかねない。しかし狂気ぎりぎりのところで保たれた情熱に人間らしさが宿るのも確かであって、我々はその「人間らしさ」を描くことが「人間のために」音楽を奏でる創作者の仕事であると考えました。僕らはそんなに器用じゃない。真摯に、出来るだけ真摯に人間を描こうとした結果がこの歌です。人間のための音楽、君ならば聴けますか。
03.東京生まれ
「死ぬときは皆一人 それが都会のルール」
友人が言葉のはしばしや仕草に垣間見せるローカリティに触れるたび、東京生まれ(テクノポップ育ち!)である自分に尾のない精子のような心もとなさを覚えるのですが、何くそ、東京生まれにしかない美学を見せてやろうかと思い一心不乱に書いたアッパーチューン。谷地村がエディットした原曲の疾走感に輪転機の回転や早回しで建設される東京タワーを発想し(いや、エッフェル塔だったかな)ジャズバンドを一組拉致してバラバラ切断しサンプリングしてみたところあら不思議。「いつでも時間が足りない」恋人たちを歌ったあの交響楽と対を為すかのようなカフェラテ必携ソングとなりました。そう。緑の窓口があるお店でムダに高いドリンクさえ頼んで持ち歩けば何処だってカフェになるし、恋をする場所になる。やはりデートコースは戦場だったか。死ぬときは皆一人。回線で首つってもトイレでODしても一人ですが、都市の優しさが包んでくれるでしょう。メトロの温かさのように。
04.アニメーションソング
「切ったら血が出るアニメーション ふしぎだね げんじつ」
前曲でS系の方角に振り切ったと思いきや東に針路をとりA系の方角に向かうかと見せかけ、N系に着地するというエレポップ歌謡。
フランスでかつて人気を博した日本産キャラクターソングに想を得て制作した当曲は生身の子どもたちに「ころすぞ」を連発させるという死ね死ね団もビックリのマリアージュ。日頃命を大切にとか何千何万回言われるより、もっと言うことがあるだろと公共広告機構のCMよろしく思っている松永が道徳の時間に流して欲しいBGMナンバーワンです。いつだってチラシの裏に書いてあるのは1と3の間のチャンネルに渦巻く罵詈雑言誹謗中傷ばかりですが、激しい言葉のナイフの裏に2Dみたくのっぺりしたのどかな景色が広がっている事があるのも知っていてもらいたい。思い浮かべるは(ハッピーツリーフレンズではなく)藤子不二雄の(Aではなく)往年のロボットアニメ(そういってよければ)であることを。P-MODELから受け継いだテクノポップの血統(ピンクの血)は、ジャケット盤面裏のカラーバーにも一筋流れています。切れてないですよ(逆切れ気味に)。
05.リボン運動
「昭和八十四年少女元年 屋上に向かうネガティヴキャンペーン」
今年に入って著名な文化人が次々と鬼籍に入られ、そしてそれを特集したスタジオボイスほか多くの雑誌が休刊/廃刊の憂き目にあい、インターネットの横行による著作権の濫用と不況のあおりを食らって音楽業界も広告業界も虫の息、な昨今ですが、元を正せば何のことはない、ひとつの時代が大きな終わりを告げようとしているわけで、広告が大らかに謳い文化人が大らかに伝え消費者が言われるままに買い漁るかつての資本主義が、昭和型の経済システムが肉体的に朽ち果てようとしているだけなのです。実質84年も続いた昭和のレクイエムとして作られたこの曲は前奏をバロック調のチェンバロが、A・Bメロを70年代フォークが、そしてサビを80年代懐メロが彩る二十一世紀型運動歌です。タイトルは【Ribbon campaign】ならぬ【Re:born campaign】であり、屋上に集った少女たちが反対するのは自分たちの成熟や未来そのもの、これから落ちる恋に対してですが、結局は初恋は恋に恋して終わるもの、過去となった今ですら、未来への憧れとして光り輝くのです。失敗した革命として。
SIDE.B
06.修正主義者(concrete mix)
「無修正の恋愛なんて気持ち悪いわ見たくない」
B面(月の裏面)の幕開けは「踊れない/踊らないダンスチューン」を標榜したシングルカット曲にコンクリートを流し込んでサルベージ。自己批判を信条とし自主規制を常識に、修正された愛の美学をアフターのバーでぶちまけられました。シャンパングラス割れるは化粧の笑顔は崩れるはで、どうしようもありません、朝を待ちますか。そんなとき、男と女の鼓動の違いが引き起こす野生のリズムを君は感じないか。アイロニーだけが愛だと信じて疑いません。モザイクのかかった時代。
07.少女のすべて(copperia mix)
「はじめに言葉ありき やがて恋ありき 最後に愛ありき」
浜崎容子作曲によるアーバンギャルドのテクノシャンソン第一号。ライヴでは定番の電化されたアレンジで復活です。初恋は落ちた途端世界の色を変え、七日間で新たな天地を創造します。聖書に描かれているように接吻を交わした彼女は息を吹き込まれ、女の子として新たな生を受けるでしょう。少女のすべてを語るには言葉のすべてを駆使しなければ適わず、3.14をπと省略するようにハートマークで代替しても、愛だけは恋に割り切れぬまま残るでしょう。1+1が3になる時点で恋愛の方程式は間違っている。2であればいいのに。割り切れればいいのに。そうは思いませんか。
08.都市夫は死ぬことにした
「都市夫の身体は宙を舞い僕らの街に落ちてく」
若き芸術家・前衛都市夫(仮名)の飛び降り自殺をドキュメントする墓場(トリ前)曲。「小さな家とキャンバスと他には何もない」芸術家の姿は『蟹工船』すら映画化する現代においてはいささかアナクロに過ぎるかもしれませんが、アナクロに酔ううちアナクロな思考を抱き、デカダンに酔い手足もつれて真っ逆さまに落ちていくのは今も昔も芸術家の珍しくない姿です。都市夫と並べられたる男性たちに都市夫は(才能においても、悪意においても)寄る辺もないですが、彼らが超えた一線を自分も超えることで「飛ぶ」ことが出来たと思ったのも束の間、固い地面だと思っていたのはいつものベッドの上だったという顛末。都市夫の安否をどうして知っているか? 言うまでもないでしょう。彼は僕自身だからです。
「オギノ博士の異常な愛情」と同じく、今回も時をかける少女・浜崎嬢と都市夫の駆け引きが必見です。
09.ラヴクラフトの世界
「神様、今夜エイズ検査に行ったの」
SF文学の巨匠の世界観を現代の東京に設定したアルバム最後を飾る楽曲。ひねくれた恋愛を語らせたら右に出るものなしのアーバンギャルドが放つ渾身の直球ラヴソング(ややカーブ。というかガープ)となりました。新宿歌舞伎町で二十四時間営業しているクリニック。深夜にふらふらとした足取りでエイズ検査にやって来たあの娘は果たして陽性だったのか?陰性だったのか?そんなことは神のみぞ知るし、愛の創造でどうとでもなるし、少女の未来に何の支障も来たさないと思います。つまりどうでもいいし、どうなったって大丈夫。彼女は死ぬまで生きるでしょう。都市計画はかくあるべきです。
開始時間二分十五秒でかかるピアノの虹は新劇場版エヴァンゲリオン、もとい『わたしは真悟』において繰り返される暴力の幻想のエーテルで、ピンク・フロイドのジャケ画を挙げるまでもなく狂気と理性の狭間にたゆたう何かです。虹の七色、そしてドレミファソラシの七音で紡ぎあげられた人間のための音楽は、大停電のさなかに何処か遠くで、或いは地獄から、ニュースのように届きます。それが悲報であるか福音(Good news!)であるかは、
我々ではなくあなたが決める。それも都会のルール、だからです。
繰り返しリピートして少女都市の拡大を目指しましょう。ランドマークはリボンかな。
(松永天馬)