お誕生日ありがとうございます。
三十八歳になりました。松永天馬三十八歳。松永天馬さん十八歳です。
ていうか38って!
三十代後半、アラフォーともなればすっかり大人になっているものと子供の頃は思っていたものですが大きな間違いでしたね。
やりたい仕事が出来て、自活も出来ていて、二十代前半にはびこっていた将来の不安はほぼ解消されたというものの、この茫漠とした気持ちはなんだよ。
満たされてるが、満たされない。
何が足りない?家族か?友人か?恋か愛か夢か情熱か?
十代後半から二十代前半の僕と言ったら、焦燥感しかなかったですよ。
作家になりたいのに新人賞は一次選考にも残らない。
劇団をやってみたもののお客は身内ばかり。
音楽をなんとなく始めたが、まさかこれを売り物にしようだなんて。
詩?現代詩なんて食えないよ。
将来は広告代理店か出版社に就職して、ダブルワークでたまに何か作品を発表できたら…ぐらい打ちのめされていましたよ。
就職に失敗、追いつめられてようやく本腰いれてバンドを始めた。それが二十二、三の頃かな。
だけど今思うと、その頃の僕は輝いていましたよ。
若いってだけじゃなく燃えてました。憎悪や嫉妬にもまみれた暗い情熱ですが、毎晩燃やしていましたよ。
青春の真っただ中にいるときって本人はそれに気づかないんです。
振りむく余裕もきっとないからね。
だけどやっぱりその頃の輝きって他には代えられないものだと思う。
茨木のり子さんの有名な詩「わたしが一番きれいだったとき」は、彼女の青春時代を回顧した作品です。
しかし彼女が十九、二十歳の頃、世は戦中戦後。
おしゃれも楽しめなかったし、恋愛もままならなかったかもしれない。
今の人が考えるような青春は謳歌出来なかったでしょう。
だけどそれでもきっと彼女は輝いていたんです。そういうものですよ。
いま、コロナ禍で大事な時間を奪われている人も多いかもしれません。
あなたにとって大事な日々、勝負のとき、輝いているはずの時間が、コロナによっていたずらに消費されている。
だけどきっとそれもまたひとつの「青春」だと思うんです。
今を懸命に生きてれば、コロナ禍だろうが戦時中だろうが災害時だろうが、関係ないですよ。
とはいえ、過去よりも今ですよ。
青春は振り向いたときに青春になるから、僕も振り向くのはいったん終わりにしてまた前を向きますね。
あなたは今でもきれいです。
生きましょう。明日も。
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