FCブログでは一カ月ぶり?もっとか?ご無沙汰しております松永です。
前回のエントリーが「あとは書くだけ」とのことだったのですが、書いていましたね歌詞を。
今回のレコーディングは作業工程としては結構早い段階での歌入れだったので、
アレンジを想像しながら書く要素が多く、その分自由度も高いながら、やや手探りで言葉を当てていくところもあった。
これまでのアーバンギャルドはアレンジをほぼ固めてからヴォーカルを入れてみることが多かったのですが、その方法だとどうしても限界を感じてしまうことも多かったのです。
何故か?ヴォーカル、声の要素が近年ポップスの要に(更に)なりつつあるからです。
二十世紀後半のポップスの歴史は技術の発展とともにあったと思います。
弦の振動を電気信号に変換して出力するエレキギターは、単にアコギの音を増幅するのみならず音を歪ませたり歪ませたりすることで新たな音楽表現を開拓しました。またシンセサイザーは人類が未だ聴いたことのない音を奏で、DTMは演奏せずとも音楽が鳴る、ライヴが出来る仕組みを用意しました。楽器だけでなく音響器具の発展も、もちろんポップスの流れを大きく左右しています。
そして二十一世紀初頭、オートチューンで人間の声を加工したりボーカロイドで生成できるようになった辺りで、新しい楽器についての探求は一段落し、ポップスの興味は原始的な「声」に立ち返ったように感じています。
声は一番面白い楽器で、人間の数だけ違う音を奏でることが出来、そこには発語という情報、意味も付与されます。切り刻んでも歪ませても面白い。
近年の洋楽はどんどん声に占める重要性が増してきており、単純にミックスでも歌の音がやたら大きくなり始めている(覚えていますか?十年前はベースでしたよね)。
翻って我々も、性格の違うツインヴォーカルと言う武器を持っているのなら、これをもっと楽曲に使わない手はないなと。声をどのように響かせ、どのように言葉に色付けするか。そこに拘るには、声をアレンジの材料としても捉える必要が出てくるわけです。
浜崎容子という人間ボーカロイドと「香水に垂らした一滴の汚物」が奏でるマリアージュをあなたに。
音楽に迷えば、声からやり直せ。松永天馬でした。
見ましたか?聴きましたか?僕のセイ=声=生=性
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